【名ブランドの歴史】
1920年ドイツのバイエル地区にダスラー兄弟商会が誕生。兄のルドルフ・ダスラーと弟のアドルフ・ダスラーが立ち上げた製靴工場。
1936年のベルリンオリンピックをきっかけにビジネスが拡大。
【兄弟関係のAdidasとPUMA】
順調のように見えたビジネスは
歴史に残る兄弟喧嘩の発端はナチス政権への党員の有無。兄のルドルフは党員に対し強く反発し投獄されることとなる。これをきっかけに兄弟は分裂する。
後のAdidasとPUMAの始まりである。
兄のルドルフは新会社PUMAを設立。弟のアドルフはダスラー兄弟商会からadidasへ社名変更。
PUMAはネコ科のピューマからインスパイアされ付けられた。一方adidasはアドルフのニックネームであったアディから付けられている。
つまりAdidasとPUMAはドイツの兄弟喧嘩からスタートしたブランドなのだ。
【アスリート×ブランドの価値】
スポーツビジネスにおいてアスリートとの協業は計り知れない価値を見出す現在。adidasもPUMAも人気を高めたのはやはりアスリートによるものでした。
1954年のサッカーワールドカップで多くの選手がadidasを着用しプレー。adidasの人気が一気に広がります。1968年のオリンピックではPUMAも負けじとアスリートへのスポンサービジネスを展開し人気を獲得していった。
転機になったのはサッカーの神様ブラジル代表のペレの存在。当時ペレの存在は価値が表せないほど偉大であったため双方は「ペレだけには契約交渉をしない」という約束を結びます。これがペレ協定と呼ばれるものです。
しかしPUMAがあっさりこの約束を破りペレに対してPUMAのスパイクを提供し世界を注目させるプロモーションを実行しました。
その内容とは
・キックオフ直前にペレがスパイクの紐を結び直す
というもの。
当時から神様扱いだったペレのこの行動が全世界に放送されPUMAのスパイクがたった数秒間でadidasを突き放したのです。
アスリートの持つ価値が最大限に発揮された瞬間でした。現在ではJordanブランドを始め様々なブランドがアスリートと取り組みを行っています。シグネチャーモデルなども開発されアスリート×ブランドのビジネスモデルも確立されています。
【現在は、、、】
現在のAdidasとPUMAは既に和解済み。その際に仲裁に入ったのがオニツカタイガーの創業者である鬼塚喜八郎さんだったと言われてます。鬼塚さんにはスポーツブランドにおける様々なエピソードがあります。
現在は両社ともにダスラー家との関係性が途絶えているようです。
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